バルド・トゥドル ( チベット死者の書 )について。

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六道輪廻図

中心の動物は、豚( 無知 )、鶏( 欲望 ) 、ヘビ( 悪意 ) を描いています。回りには再生を繰り返す六道の世界が描かれています。

このブログの冒頭の紹介文に書いてあります、☆☆人はこの世に何故生まれて来たのか?そして如何に生きるべきか?☆☆ この命題を探究するに当たり、如何に生きるべきかは、如何に死ぬかを考える必要があります。生きる事だけを追求すれば、煩悩に苛まれて物欲の虜になります。死を身近に意識すればこそ生きる意味が明らかに浮かび上がって来ます。

科学技術の進歩だけでは全ての事を解明する事は出来ません。最後に誰でも必ず訪れる '' 死 '' の問題の解答は宗教の出番となります。

チベット死者の書は、紀元八世紀頃にインドの僧パドマサムバヴァが著した経典とされています。埋蔵経として長い間、山中の洞窟などに隠されていると言う伝承も有ります。

バルドは、死と再生の中間の状態 ( 中有 ・中陰 ) で49日の期間とされています。トゥドル は、学習し理解する事で解脱出来ると言う意味です。死に行く人の枕元で49日間僧侶がこの経典を読み上げます。

バルド・トゥドルは、死後の世界について時間経過で順番に具体的には描かれており、語り聞かせる物語です。そして、バルド( 死と生の中間 ) の状態から再びこの世に誕生する輪廻を避けて、解脱へ向かわせる為の経典です。その枕経を聴いて死者が解脱するか再生するかを選択します。

バルドは3段階に分かれています。

① 死の直後に体験する ''チカエ・バルド '' ( 死の瞬間のバルド )
② 死後4日半経過して始まる '' チョエニ・バルド '' ( 心の本体のバルド)
③ 死後22日目から始まる '' シパ・バルド ( 再生のバルド )

第一の光明

高貴なる生まれの者よ、歩むべき道を探しに行く時がとうとうやってきました。息が絶えたら直ぐに、根本の光明が貴方の前に現れます。これこそ生命の根源を作っているダルマタ(本質・法性)です。ダルマタとは、宇宙のように広大で空虚で、光に満ちた空間、中心も境界線もなく、純粋でありのままの心のことです。貴方はその心の状態を自覚し、その中に安らぎを見出すのです。死を迎える者がその呼吸を止めるまで、耳元で何度も繰り返し唱えることによって、この言葉を死にゆく者の心に深く刻み込みます。・・続く・・

チベット仏教では、生命の本質は心であり、心の本体は純粋な光 ( 光明 ) だと言っています。そして死の直後にこの純粋な光明が誰にでも現れると説かれています。肉体を離れた心がこの光明と出会う事に成ります。

寂静尊曼荼羅に描かれている仏様たちが死後の7日目まで幻影として現れ、忿怒尊曼荼羅の仏様たちは8日目から現れます。

まばゆい白光は解脱へ、白い薄明りは天界、青い薄明りは人間界、赤い薄明りは修羅界、緑色の薄明りは畜生界、黄色い薄明りは餓鬼界、灰色の薄明りは地獄界へ行くことに成ります。

ダライ・ラマ14世は、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていましたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムシャーラーに樹立された中央チベット行政府においてチベットの国家元首を務めています。日本にも時々訪れており、私は講演や脳科学者の茂木健一郎氏との対談を直接聴いた事が有ります。

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この記事へのコメント

2014年08月25日 14:40
玄奘三蔵のガンダーラを経由した、大陸の大きな右回りの仏教・教本の中国への伝播とは異なり、チベット古代密教は、インドから直に短い距離を北進し、チベット密教はお釈迦さまの教えの原初が、スポット的に長い歴史が過ぎても残ってるので、現代中国による追放は、仏教のプュアな保存とうことからみても損害です。チベットの六道輪廻の解説(図)を、記事のようにみたのは初めてですが(地獄絵図は善光寺にありますね。)、人の亡くなる者の心次第とか、亡くなった者への供養というサポートがないと、天界に行けそうもない。。これは、日本の大乗、密教と同じ考えですね。またこの世に人は何をしにきたか?この世は一行程に過ぎず、こうした骨格的哲学は「日本仏教」に受け継がれていますでしょうか。私は、子度胸の上、現世での罪や失敗さまざまあれど、やり直しも次ぎの世でできるのであれば、希望が沸きますよ。
さとし君
2014年08月25日 14:53
↑保存とうことからみても→保存とうゆうことからみても
すません。
華の熟年
2014年08月25日 22:11
さとし君さん コメント有難うございます。

☆☆この世に人は何をしにきたか?この世は一行程に過ぎず、こうした骨格的哲学は「日本仏教」に受け継がれていますでしょうか☆☆

人は、何も持たず何も身に付けずに生まれます。お迎えが来た時にも何も持たず逝きますね。持って行けるものは、一生の間にしてきた行為・発した言葉・心の想い。。を合わせたカルマ ( 業 ) だと仏教の各宗派は言っています。

良い行いは良い '' カルマ・業 '' を積み立て、十善戒等を破る悪い行いは悪い '' カルマ・業 '' を増やします。幸運にも人間としてこの世に生まれたのであれば、肉体を持って生きている間に良いカルマを増やす事が必要だと思います。

世俗の欲望・快楽・虚栄・等々の低次元の煩悩を排除し、魂を進化させる意義のある生き方をして '' 今 '' 人間として生きている時にこそ実践出来るチャンスだと考えられます。来世で再び人間に生まれるかどうか分かりません。

霊界とこの世は隣り合わせで繋がっており、潜在意識( 末那識 )の状態でご先祖様や他の霊と会話が出来る人もいますね。あの世に行けば '' 魂 '' だけの世界になり、肉体が無いので善行を積む事も出来ません。その時に何を為すべきだったかを後悔しても遅いと思います。
2014年08月28日 06:24
なかなかコメントしにくいテーマですね。人間が生きている限り宗教というのは存在するし、最後には宗教に戻っていくものだろうと思っています。なぜならそこにしか人生の意味を見いだせないですから。この世的な物欲や世間の評判を求めやすい人間の性ですが、ある時に自分で「何をしていたのだろう」と愕然とする瞬間が誰にでも訪れ、そこから宗教になっていくのでしょう。
華の熟年
2014年08月28日 14:26
araraさん こんにちは。

こう言ったテーマはブログに相応しく無く、ほとんどの人は敬遠されると思うので、さとし君さん ・ araraさん からコメントを投稿して頂ける事に感謝します。宗教心の有る方には普通に理解出来ますが、無い方には別世界の話になります。

☆☆人間が生きている限り宗教というのは存在する☆☆

仰るとうりだと思います。人として限界を感じたり、大きな挫折を味わったり、自己に目覚めたり、等々の心の大きな変化で宗教にその解答を求めるのだと思います。そして、理解して少しづつ実践出来れば心の平安が得られますね。