生き方 ( ベンチャー企業に勤務 ) No.6

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サッカーボール分子( C60 )のフラーレン

人材斡旋会社を経由してヘッドハンティングの様な形で化学系の研究開発型ベンチャー企業に転職しました。医薬品や化成品及び機能性材料の研究開発をしており、受託研究と受託合成及びスケールアップの生産もしていました。本社の化学研究所と小規模プラントのある試験工場の二箇所の勤務地がありました。私は前職の時に取得した免許資格を有効に活かせる試験工場で勤務する事になりました。
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クラウンエーテル( 18-Crown-6 )

製薬会社や化成品メーカー等から開発依頼された新規化合物を、本社の研究スタッフが有機合成による試験研究の実験を繰り返して合成ルートを探索します。合成処方がある程度確立すれば、小規模プラントの有る試験工場に試験データが送られて来る手順です。
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アダマンタン( C10H16 )

医薬品であれば効能を調べる為に動物実験や臨床用の試作品を合成する必要があります。ガラスのフラスコによる合成では分量が不足するので、50L~3,000Lのサイズの設備を使ってKg単位の量も合成します。

化学実験室ではテーブルの上でコルベンと言うガラスの実験器具で合成のトレーステストも行いました。試験工場ではGMPと言う医薬品の製造管理及び品質管理等の基準に適合する必要があります。大きな反応釜を使う時は、ボイラーを運転して蒸気の熱源で反応釜を加熱します。排ガスはダクトから吸引してスクラバーと言う装置で有害なガスを除去していました。引火性の危険物も多量に扱うので、専用の耐火構造の倉庫にドラム缶で保管していました。作業中に空気中の微粒子が入らない様にクリーンルームで仕事をする工程もありました。

私は、500mLのフラスコの小実験~3,000Lの反応装置までの有機合成を仕事として居ました。スケールアップと言う分野に成ります。合成した化合物は、1g ~ 1000g の分量になり、ガスクロや液クロ等で純度%を測定し、NMRやIR等で分子構造を確認します。最近はもっと高度な分析も出来ると思います。

仕事でレポートや見積書を作成する時は会社の事務所にあるワープロ専用機を使っていました。しかし、個人的にワープロだけで無くプログラミングやゲームや音楽にも利用できるパソコンが欲しくなりました。

女房に相談すると転職して収入も増えたのでOKの返事があり、PC9801VX2と言う当時の16bitの最上位機種のデスクトップパソコンを購入しました。一太郎と言うワープロソフトも後日に買って文書作成とBasicのプログラミングやゲームなどもしました。

半年程してから、日本橋の電器屋街を覗いていた時にパソコン通信と言う使い方があり、アマチュア無線と異なり文字で不特定多数の人とコミュニケーションが取れる事を知りました。音響カプラーを買って、PC-VANと言うBBSに入会申込をしました。

パソコン通信を初めて間もなく、SIG(special interest group )趣味を同じくする人の集まり)のある事を知り、私は化学研究の会社に勤めていましたので化学系のSIGを探したところ、化学とコンピュータ という名前のグループがありました。SIGの主催者は大学の先生でした。最初は掲示板を閲覧したり、SIGに登録されている分子モデリングソフトや分子モデルの立体表示が出来るフリーソフトをダウンロードし、パソコンに表示して楽しんでいました。

しかしまだ掲示板に書き込む勇気がありません。社内で年一回研究発表会と言うのがあり、仕事の上で得られた知見や苦労話を発表する機会があります。その時に発表されていたアダマンタン( C10H16 )10個の炭素がダイヤモンド構造と同様に配置されている篭型の分子から誘導体を創る研究発表が優秀賞を取りました。その発表に感銘をうけパソコンで三次元の立体表示をして見たくなり、アダマンタンの分子構造座標データを教えて欲しいと、SIG化学とコンピュータの掲示板Q/Aのコーナーに書き込みました。2日後位に、三次元座標と結合情報がアップされていました。早速に自分のパソコンに取り込んでカラー表示し研究発表されていた誘導体をモデリングしてみました。優秀賞を取った研究員の方に、誘導体の分子座標データと球棒型分子表示のカラー印刷物した物を差し上げ喜ばれました。後日談で、C60フラーレンの存在を世界で最初に予言して論文発表した大学の先生から、アダマンタンの座標を提供されたと聞きました。

化学SIGのボードへのメッセージの書き込みから参加型のネットワーカーとなりました。仕事から家に帰れば先ずパソコンをONして、化学とコンピュータのSIGを閲覧するのが一番の楽しみになりました。その掲示板で沢山の方々と情報交換した事を今でも覚えています。化学ソフトウェア学会や日本化学会と言う団体にも入会し学会主催の研究発表会にも参加しました。

関西地区で化学ソフトウェア学会の研究討論会が行われた開会の時に、私にも一言挨拶して欲しいと突然言われビックリした事を覚えています。どんな事を言ったか良く覚えていませんが、たぶんSIGの宣伝をしたと思います。学会の初日の夕方に大学近くの料亭で約10名位で会食をしました。ほとんど大学の先生や大学院生ばかりでしたが、料亭の予約や案内は私がしました。

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道頓堀の料亭で合同のオフラインミーティングの写真です。

当時はNIFTYと言うBBSの『 化学の広場 』と言う日本化学会主催のフォーラムもありました。私はこのフォーラムにも参加していましたが、日本化学会の年次総会の日に合わせて、『 化学とコンピュータ 』と『 化学の広場 』で合同のオフラインミーティングをやろうと言う話が持ち上がりました。私は大阪在住でありオフラインミーティングの幹事をして欲しいと言われました。快く引き受けて道頓堀の料亭で14名の盛大な宴会を開きました。私にとり参加されている皆さんは初対面の人が多かったです。しかし、SIGの掲示板でコミニュケーションを取っていましたので、さほど違和感なく宴会の席でも振る舞うことができました。

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化学ソフトウェア学会が発行していた会誌の写真です。

化学とコンピュータのSIGOPと言う運営者に電子会議室『 電子投稿・電子出版 』を設置して頂きました。私が議長に就任してボード上で情報交換してコミュニケーションを取ってい大学の先生や院生及び企業の方々から多種多様な論文を投稿して貰いました。これらの原稿を電子製本してSIG開設4周年記念誌を発行する事が出来ました。圧縮ファイルのSIG_4ネンシ.LZH と言う名前を付けて、分子構造の表示、分子モデリングソフト、2次元グラフ作成などのフリーソフトと共に、お楽しみディスクとして学会誌の付録に2HDのフロッピーディスクを約700枚配付した事もありました。

ブログで過去に掲載した写真や文章も一部含まれています。

この会社で勤務していた時が、私の人生で一番に充実して輝いていた時期だったと思います。しかし、こう言った時期は長くは続きませんでした。約10年間勤めた頃に会社からリストラの話があり、涙を堪えて会社を去りました。まだ子供は高校生と小学生で家のローンも残って居ましたが、次の仕事に向かう気持ちになれません。

人生の無常を感じて、『 インド仏跡地巡礼 』の旅に出ました。

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クシナガラの釈迦涅槃像の前でお祈りしました。

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この記事へのコメント

2015年07月24日 17:11
化学のことは全くわかりませんが
華さんはとても難しい専門職に
就いていらっしゃったのですね。

人生で一番充実し、脂の乗って
いたお仕事から一転してリストラとは・・・!(^^)!
言葉に表すことのできないほどお辛い
時期でしたね~。

心のよりどころを求めての『インド仏跡地巡礼 』
の旅は、とても意味あることであったと拝察いた
します。
挫折は耐え難く苦しいことですが、そこを経験し
乗り越えて来られたお姿に感服しています。



2015年07月24日 18:06
こんにちは!
充実したお仕事が一転リストラとは何と言っていいのかわかりませんが、辛い時期を過ごされたのですね。
インド仏跡地巡礼の旅で心を取り戻して次へ前進する力を得られたのではと思います。
辛いことを乗り越えたことが今の人生の糧になっていることでしょう。
人生山あり谷あり、誰しも多かれ少なかれ経験して今を生きていると思います。
2015年07月24日 22:01
こんにちは

素晴らしきかな人生
初期のころはPC通信
モデムを使って
ビービーガーガーやってたね
リストラは関係ないと思っていたが
ほぼ全に職種に及び
私たちも例外ではなかった
印度巡礼でしたが
私の場合は幸い
東南アジアへの
単身赴任というリストラでした
2015年07月24日 22:45
仕事が充実して、着実に
世界が拡がってると実感できる
時期があるもんですね。
お話を伺っていて、それを強く感じて
いたんですが、長く続かなかったとは…。
人生いろいろ。平坦な道はありませんね。
2015年07月25日 10:01
慈園さんへ コメント有難うございます。

転職を繰り返しましたが化学技術の仕事が本業です。ご紹介した会社での業務内容が本来の専門職でした。10年間勤めましたが、リストラと言う憂き世の荒波に流されました。

『 インド仏跡地巡礼 』は約10日間の日程で五大聖地を巡りました。僧伽の拠点でサヘートマヘートの祇園精舎、仏陀の生誕地のルンビーニ、仏陀の入滅地のクシナガラ、初転法輪のサルナート、金剛宝座のある成道地のボードガヤ、を順番にお参りし、ガンジス川で沐浴もしました。

挫折を乗り越えたとのお言葉を頂き誠に有難うございます。インド旅行から帰って気持も整理でき、家族の励ましもあって、立ち直る事が出来たと思います。
2015年07月25日 10:25
ekoさんへ コメント有難うございます。

この会社で勤務していた時が公私ともに一番充実していたと思います。『 一寸先は闇 』と言う諺もあり、人生で何が起きるか予想できませんね。幸いにも信仰心を持っていたので、インドへの仏跡地巡礼で立ち直る事が出来ました。

おっしゃる様に、人生は山あり谷ありの連続で、皆さんそれぞれ経験しているでしょうね。
2015年07月25日 10:51
無門さんへ コメント有難うございます。

自分史の1ページを披露しました。私と同じく当時にパソコン通信をされていた様ですね。音響カプラーは300bpsの通信速度と遅いので、その後に1,200bpsのモデムを買って通信データ量を増加しました。BBSのホストコンピューターの速度も2,400~9,600bpsと次々に性能がアップしましたね。

東南アジアの国へ単身赴任され良い体験をされた様ですね。生き方シリーズのこの続きは又次回にさせて頂きます。
2015年07月25日 11:09
yasuhikoさんへ コメント有難うございます。

おっしゃる様に、このベンチャー企業での仕事とパソコン通信が良き経験となりました。波乱万丈の人生は未だ続きがあり、平坦な道は歩けませんでした。
2015年07月28日 01:23
華と熟年サンの、専門的な内容の記事と
物の見方・感じ方の記事内容に
無機質な中に、「たゆたい」が入り混じった
面白い掴み方をされる方だな…と思いながら
ブログを拝読しておりました。
色んなコンディションの道を
実歩されて来たからこその、
記事なのですね。
私も、色んな体験をして
人間力を付けて行きたいです。

2015年07月28日 09:37
風花さんへ コメント有難うございます。

小生が歩んできた道を『 自分史 』として文章にまとめています。今回は20年~30年前の事を書きました。「 たゆたい 」とは、揺らぎ又は変動と言う意味ですね。おっしゃる様に仕事は、「 たゆたい 」でしたね。技術職・営業職・サービス業、等々で色々な職種を経験しました。
2015年08月07日 04:23
まさしく「諸行無常」「諸法無我」ですね。しかし、その時期が無かったら今の熟年さんはなかったことになりますので、「この世に起こること、すべて良しも悪しもなし」ですね。それを自分の実体験として与えられたチャンスでもあったということでしょうか?
2015年08月07日 09:33
araraさんへ コメント有難うございます。

人生は常に移ろい行くもので「 諸行無常 」だと思います。限りある命を大切に悔いのない一生を送りたいと考えています。おっしゃる様に職種の変遷は実体験するチャンスだったのでしょうね。そして科学的な思考で宗教を考える事も出来る様に成りました。