生き方 ( 最初の会社勤務 ) No.2

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押出機の概略図とその仕組み。右上の緑色のホッパーからペレット状の熱可塑性樹脂が入り、スクリューで左方向に移動しながら融解して左側の青色のダイスの出口から、溶融した粘度の高い樹脂が出て来ます。それをサイジングダイス内を通して冷却し、一定の形状に引き伸ばして出来上がりです。長尺の成形品を得る事が出来ます。

就職した会社は生家からは遠いので親元を離れて会社の単身寮 ( 約15人 )に入りました。木造の二階建で、一階は食堂・和室の宿直室・洗面所等があり、二階は和室の約8部屋があったと思います。学生時代は身の周りの事を親にして貰って居ましたが、これからは食事の事以外は全て自分でしなければなりません。洗濯機の使い方から覚えました。

部屋は6畳の和室で数年前に入社した先輩との2人相部屋に成り、その先輩から寮生活の規則やマナー等々を親切に教えてもらいました。工場の敷地内に寮があり、小さい稲荷神社も祭られてた事を覚えています。本社から会長が来てお稲荷さんにお祈りをし、社員食堂で特別な料理が振舞われた事もありました。

3年目に寮長に推挙されたので引き受けました。月に一度くらい食堂に集まって雑談し、寮生の要望を会社に伝える役目だったと思います。一泊の旅行に行こうという話が持ち上がり、土曜日は月に一度だけ休みだったので、連休の時に寮生で琵琶湖の畔にある温泉地へ行きました。男性の独身者ばかりの温泉旅行という事で、羽目を外してお酒も飲み賑やかな宴会に成りました。私は宴会後に好きな麻雀をしましたが、外出して遊びに行く寮生もいました。

会社のレクレーションとして大阪万国博覧会に行った話を前回にしましたが、休日にソフトボール大会に出場したり、バレーボールの試合にも出た事があります。当時はボウリングがブームで社内大会があり運良く優勝した事もありました。スポーツは下手ですがある程度出来ます。

入社4年目に単身寮を出て、2部屋と小さいキッチンとトイレが付いたアパートに入居しました。お風呂は歩いて5分位の銭湯に行きました。一人住まいは全ての事を自分でする必要が有り、色々な社会経験の始まりでした。ステレオを買ったのはこの時期で、当時にラジオで良く聴いていた映画音楽のLPレコードや歌謡曲・童謡の唱歌・クラッシック音楽のレコードも買い求めて、仕事からアパートに帰ると毎夜楽しく聴いていました。ギターは高校生の時に買っており、古賀政男の影を慕いて等を時々弾くことが有りました。隣の住民とは壁一つで余り大きな音は出せません。

仕事は上司の指導を受けながら、低発泡異形押出成形と言う新規事業の技術取得に向け勉強もしました。入社後の3ヶ月くらいで新しい工場の建屋が完成しました。新建屋2階の事務所に引越し、会社組織も変更となり新規事業部が発足しました。幸運にも成長と将来性を持てる会社で良い部署に所属できたと思いました。

研究と生産技術の仕事でした。具体的には熱可塑性樹脂に、発泡剤・着色剤・添加剤等を均一に混合して押出機という機械で溶融させ、金型を通過して形状を決めてから冷却して出来上がります。少し膨張させて成形品の表面に木目調のデザインを浮かび上がらせます。通称名を合成木材と言い、プラスチックから木材に似た物を作る技術です。製品は、絵画の額縁・テーブルのコーナー・木目調のテレビやステレオのキャビネット等に使われます。

外国の成型技術でセルカプロセス・国内の技術でSDP樹脂の成型・カルプ樹脂の発泡成型・等々の技術導入も行なった事を覚えています。外部の技術なので公開は控えます。

一台の機械に通常は2名の作業員が従事します。コントロールは人間の目と手で行っていましたが、省力化のアイデアを出して自動化のシステムの基本を考案しました。研究部長に説明したところ電気工学の専門家に依頼する必要あるとの話に成りました。溶融樹脂の上下の変化から引取機の速度を連動させて適正な金型の通過速度を保つ方法です。差動トランスと言う検出器で上下の変化を電気信号に変換し、金型に入る溶融樹脂の速度をコントロールする方法です。上層部の決済がおり機械メーカーに依頼してその自動運転の機械が導入されました。試運転も上々で、一台の生産ラインが1名で出来る様になりました。

連続して流れている押出機の金型では2次元の棒状になります。普通は3次元の模様の成形は射出成型機しか出来ません。成型する側に模様の付いた歯車を取り付け、歯車を回転させて3次元側にも変化を持たせる事を思い付き、金型メーカーに依頼して模様の付いた歯車を作って貰い、試作品を営業部に廻して凹凸模様の額縁に使用出来ると説明した事もあります。

2ヶ月に一度くらい社内で開発委員会の召集があり、お互いに情報を交換し仕事に関するアイデアや新商品の事を話し合いました。3年目に技術担当の係長に昇進し歳上の部下2人を持って仕事をしていました。

4年目位に中東戦争が勃発しオイルショックと言われている様に、原油価格が70%ほど引き上げられ景気が急に悪く成りました。更に石油を原料としている合成樹脂は大きく値上がりして、製品として販売している合成木材のコストが合わなくなりました。新規事業部として発足していた成型の部門は既存の注文品のみ生産する方向となり、縮小から撤退となって行くのは確実の情勢となり、入社後わずか5年の歳月です。会社の主力部門である合成樹脂の着色メーカーとして、原料価格に左右されない経営を目指すことに成った様です。

会社の雲行きが怪しくなったので、中小企業診断士と言う経営学の勉強を通信教育で始めました。関西マンパワーとか言う会社に行き必要な書籍を購入して、全く異分野の勉強を始めました。そして勉強を始めて3ヶ月くらい経過した時に、運命の日が訪れました。

所属していた関西の工場長から会議室に呼ばれ、平社員として関東工場に転勤の辞令が降りました。予め用意していた辞表を提出し、5年間お世話に成った会社を退職しました。この体験が2回目の大きな挫折です。

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この記事へのコメント

2015年01月23日 01:22
ドラマチックな展開になりました。人生は明日何が起こるかわからないですね。絶対確実ということは一つもないんだなと感じました。
2015年01月23日 09:09
araraさん こんにちは。

ご指摘の通り波乱万丈の人生がスタートしました。この会社は約5年間勤務しましたが、結論を先に申し上げると、その後は10社以上の会社に勤めて色々な職種を経験しました。

中東情勢の悪化で退職に追い込まれるとは夢にも思いませんでした。当時の原油は1バレル3ドル位で急に5ドルを超えました。現在の50ドルの価格からすると未だ十分の一位です。技術系の仕事をしていましたが、この時から経済や社会情勢に関心を持ち始めました。
2015年01月23日 19:28
こんにちは

なるほど
どこにでもありましたよね
我等は新築の寮にはいれましたが
6畳に3人部屋でした
一年前の先輩たちは
20畳ぐらいの部屋に
10人ぐらいの木造だから
我等の方が幸せでしたよ
2015年01月23日 21:02
無門さん こんにちは。

地方から都会へ集団就職する時代でしたから、会社も単身者用の寮を準備していましたね。妻帯者用の社宅も有りました。

高度成長期における一時的な景気落ち込みで、直ぐに景気は回復して会社も業績を回復した様です。現在その会社のホームページを見ると海外展開して大きくなっています。
2015年01月24日 18:24
こんばんは!
長いようで過ぎれば短い人生、振り返ればいろいろな事がありますね。
オイルショック記憶にあります。洗剤、トイレットペーパーが店頭から消えましたね。その頃は世界情勢に疎かったのでなぜこんなことになるのか不思議でした。
こちらでも集団就職される人用に会社の社宅がたくさんありました。今はほとんどなくなり、工場の跡地がマンションに様変わりしています。
2015年01月25日 09:59
ekoさん こんにちは。

過ぎ去った過去の人生を思い出しながら記述して振り返っています。今になると夢まぼろしの如く記憶の中にのみ映像として蘇って来ます。記憶がハッキリしている間に文字として遺して行こうと思っています。先日に産まれた孫が大きくなり、読んでもらえれば嬉しいです。

オイルショックの事を覚えていらっしゃる様ですね。スーパーの店頭から商品が消える事は現在では、穀物の高騰で家畜飼料も値上がりし、天候の変動により乳牛の体調不良等により、バターが品薄です。
2015年01月25日 15:43
あのオイルショックが、
大きく運命を変えたんですね。
でも、運命に翻弄されるのでなく、
先を見越して勉強されてたなんて、
素晴らしいと思いました。
2015年01月25日 16:58
yasuhikoさん こんにちは。

オイルショックと言う急な景気変動は現在でも時々有りますね。転勤を受け入れる人もいましたが、私は思い入れのある最初の職種が無くなるのは耐えられませんでした。若気の至りかも知れませんね。

会社の経営方針がどうなっているのか?知る為に経営学の基礎勉強をしました。その後は一年間ほど続けて勉強し一度、国家試験を受けましたが不合格でした。しかし、その知識は以降の仕事に役立ったと思います。