遊行期の生き方 No.12 ( 断捨離をして身軽になる )

毎日散歩している公園

遊行期とは、所有の欲望から自己を解放して心穏やかに生きる事です。人間の所有欲は際限なく膨らみ、行き着く先は煩悩の奴隷になるので、個々の所有物を捨てて大自然を心で所有すれば良い。
断捨離とは、手に入る物を「断つ」いらない物は「捨てる」物の執着を「離れる」の三拍子を揃えて物質から距離を置く事です。栄華を誇り豪邸に暮らすほど悟りから遠ざかり、質素に暮らして深遠な宇宙を想うのが良い。
人間は生まれる時、何も持たずに裸でこの世に現れます。
人間は死ぬ時、何も持たずに手ぶらであの世に還ります。
人生の前半の四住期である「学生期・家住期」の時は勉学に励み・職業について働き、物質的な経済活動をして、自分の身の廻りに物を沢山集めます。
仕事をリタイヤした後半の「林住期・遊行期」では、悠々自適の生活をする為にも、身の廻りの物を少しずつ減らしていく必要あります。
溜め込んだ大切な物でも、衣服・家具・不動産・金銭・趣味で集めた物品、等々の物質は手放さなければなりません。死んだ時に棺桶に入れて、あの世へ一緒に持っていく事は出来ません。手ブラで逝きます。
この世と物質に執着している事は、煩悩に支配された生き方であり、物を沢山集める事と同義語とも言えます。重い荷物を背負って歩くより、軽い荷物を持って歩く方が楽チンです。
身軽になると風通しが良くなり、風水からも良い兆候です。

欲しい欲しいと欲望を露わにして、腹一杯に食べて・物品を搔き集めるのは、餓鬼道に等しい生き方となります。この状態を脱する為にも、断捨離をして身軽になれば・心も清浄となります。小欲知足についてこのブログでも一度書いたこともあります。
高齢期になれば、食事の量も減らし・必要最小限の物だけを手元に置き・財産のある人は子や孫に分け与えて地域社会にも寄贈し・友人や近所付き合いも減らし・テレビや新聞やネット上の情報収集も減らし、適度な運動をして趣味を楽しみ、ストレスの無い生き方が一番だと小生は思います。断捨離をしてストレスを減らすと病気も退散します。
更には、菩薩行で、ボランティアや奉仕活動をして社会に貢献する事は立派な行為です。

一方では、仕事が趣味で死ぬ間際まで現役で働き、仕事を通じて社会に貢献する人もいます。所得税を国家に沢山納めるのも生き方の一つです。十人十色の生き方があり、優劣を決めるのではなく人それぞれの生き方です。どの様な生き方を選ぶかは、各人の人生観だと思います
いつもブログへご訪問を頂き誠に有難うございます。
この記事へのコメント
義母は普通のアパートから老人アパートへ、その後介護老人ホーム、最後は病院で亡くなったので、移動の度に物は処分したのですが、それでも最後まで残ったものがあります。タオル、布団やシーツ、パジャマや着替え類、最後の最後まで必要な物もありますが、一番たくさんあったのがアルバムでした。90年近い年月のアルバムですから私達が知らない人もたくさんその中にファイルされていました。本当に大変でしたが、欲しい写真はそれぞれに持ち帰ってもらい、その他は完璧に処分しました。
人が生きるって、最後の瞬間まで必要な物がたくさんあって、最後は誰かが処分することになるんだな~誰かのお世話にならずには人生は終われないのだな~と思いました。
ご親族の遺品整理をされた様ですね。おっしゃる様に最後まで必要な衣類や写真などは残ると思います。それ以外の、家具・不動産・金銭・趣味で集めた物品、等々は生きている時に具体的な処分方法(エンディングノートに遺言や遺品整理を記載する)を検討して、順番に実行すれば良いでしょう。断捨離をして身辺の物品を減らしていくと身軽になり、物質欲やストレスも相対的に減少して心も穏やかになり、病気の発生も抑えられて長生き出来ると思います。
そうありたいと思うこともありますが、なかなかそういう境地には達していません。
どうしても、周囲の人と比較してしまう。どうにかそのような凡庸を払えないかと。一方で、まだ頑張らないという気持ちも残っています。
日々、迷い悩みながら生きています。いい歳になってきたのですが。
仕方ないですね。それも自分ですから。なんて思います。
高齢期になって仕事をリタイアする人もいれば、現役で働き続ける人もいますね。私は64歳の時に仕事を辞めて隠居生活をして既に8年経ちました。学生時代の同級生にはまだ働いている人もいます。おっしゃる様に、頑張ろうか?ノンビリしようか?と迷うのは当然あると思います。私は隠居生活に入ってから、神仏霊場めぐり・読書・孫の遊び相手をして過ごしたいと思いました。そして科学と宗教の両方からアプローチして、この世の真理を極めて、六道輪廻からも解脱して悟りを開きたいですね。
これは余談ですが、人間は生きている時にいくら栄華を誇っても、いずれ老いてあの世へ手ブラで旅立ちます。現役の時と終末の時とのギャップが大きいほど死ぬ時の苦しみも大きいと考えられます。この世に未練を残して、精神と身体の両方共に苦しみながら亡くなるのは大変不幸な事です。人間は生きていく上で物質の豊かさを超越した、宗教心は大切だと思います。従って、断捨離は人生の終末期にかけてソフトランディングする方法論としても必要かと思っています。
欲しいと思ったものは
買えるものであれば買います^^
そして何か手放します^^
十人十色の生き方が
有るでしょうねー
日常生活で本当に欲しいものは買って、ストレスを発散するのは良いですね。
経験しました。必要に迫られて、相方と一緒に、
着るものは知り合いが関係してる福祉施設に寄付、
蔵書の類は半分以上を古本に出しました。
でも、あんまり身の回りにモノが無くなると
寂しいから、これで第一弾は完了したと思ってます。
病気でもしたら、その時はまた考えましょう。
引越しをする時は、生活に必要な物と使わない物を分別する良い機会だと思います。おっしゃる様に断捨離し過ぎると寂しくなるかも知れません。人それぞれに生き方や人生観が異なるので、快適と感じる生活様式は違うと思います。
毎日朝晩1万歩をあるいてますが、
段々思うように足が進まず、遅くなっています。
子供たちに迷惑が掛からないよう
断捨離にも心掛けてますが、
なかなか踏ん切りがつきません・・・
この世は見えるものしか信じられない、欲得の煩悩に支配されかき集めてきたものをあの世へは持って行けませんね。
持って行けるもの、それは智慧と境地だけですね。
人間は中々煩悩から抜け出られません。
せめて万物に対して畏敬の心をもって感謝をしてゆきたいです。
健康維持のために、毎日一万歩も歩いているのは素晴らしいです。少しずつ断捨離をしながら、子供たちには負担のかからない様にして、余生は趣味などで楽しく過ごしたいですね。
人間としてこの世に生まれてから、自分の身の廻りに物質を沢山集めます。しかし、お迎えが来ると集めた物質は全て手放さなければなりません。断捨離をして身軽になり、心も軽く穏やかに過ごすのが良いでしょうね。おっしゃる様に持っていけるのは、この世で体験して知り得た智慧と悟りの境地だと思います。
断捨離には特に感じています。
ボケないうちにすっきりとしましょう。
今の時代”アンティークと言えるものもありませんので楽です。
大事なのは気持ちでしょうね。
頭ではわかっていても、なかなか難しいこともあります。
感染症で出かけることもなくなり、衣類を買うこともなくなりました。
断捨離も今まで何回かやってきたにもかかわらず、まだまだあるものです。
長生きすると身の廻りに沢山の物が増えてきますね。高齢期になると断捨離して、心身ともに健康な時に少しずつ減らしていく必要あると思います。エンディングノートに遺言や遺品などを記載して、遺された家族の為に負担を軽くするのが良いでしょうね。
高齢期になれば断捨離して身の廻りの品々を減らすと、心身の健康にも良いと思います。小生も自分の衣類・書籍・家具・趣味の物品などをたくさん処分しました。家族共通の品物も減らしていますが、勝手に捨てたと叱られた事があります。
断捨離・・・・・と言えば以前にカメラ用品を断捨離しましたねぇ。
でも、canon 5D MⅢとレンズを5本は手元に。
人生はまだ断捨離したくないのでまだまだ頑張らなきゃ⁉️
日常生活で使う必需品や、趣味の大切な物は手元に残したいですね。断捨離は仕事をリタイアして高齢期になってから身辺の整理整頓をするお話です。未だ未だ若い者には負けないと、頑張って生きるのも良いでしょうね。
ある時は子供にすべて上げてしまいましたので気が楽です。もうなんにもないよ、状態です。最低限の生活を心がけています。あれも欲しい、これも、なんて思ったことはありません。自分に与えられたもの、は感謝していただく、という趣向です。だから気はとても楽です。いつどうなっても少しも後悔しない生活、
一生懸命人に尽くし、家族の助けになり、ただ自分の向上にすべての労力をおしみません。このまま、生きれたら幸せ、というものです。
高齢期になって身辺の整理整頓をして身軽になると、心身の健康にも良いと思います。おっしゃる様に小欲知足に心がけて、自分に与えられた物に感謝する気持ちは素晴らしいですね。人間は智慧を磨いて自分の人格を高めて菩薩行を実践し、人生の使命を全うするのが理想だと思います。